奥尻旅行記 その1

 毎年、馬車馬の前にニンジンをぶら下げる…ということをやってきた。いつもならニンジンは日本の南方にぶら下げていたのだが、今年は方針を変えて「未だ見ぬ 東北の蝶」と「未だ見ぬ北海道の蝶」の2本立てを考えていた。しかし1本目の東北編は大きく空振ってしまった。
  アテにしていた宮古市教育委員会主催のチョウセンアカシジミ観察会の予定が1週間繰り上げられ対応できなかった。また、手持ち資料を基に独自で考えていた蝶ポイント巡りは、資料が古かった。特に海岸線沿いのポイントは、考えてみたら東北震災以前のもので全く役に立たなかった。
 それでも、自らの自家用車でフェリーに乗り、東北に渡り、八戸から仙台までハンドルを握ったことは、Fieldにとっては貴重な体験であったと思うし、そこで出会った方々との触れ合い、そうして観光と割り切ればそれなりの楽しさがあったと感じていた。 そうしてニンジン第2段は、またまたフェリーで、今度は奥尻を目指したのだが… (またまた旅行記なのでご期待をせぬように願います)

フェリーのりば(2018.07.14 江差)

 7月13日、お仕事が終わり自宅へ。フェリーは翌朝9時20分に出航する。手続きはその40分前の8時30分迄に済ませなければならない。余裕にも思えるかも知れないが、フェリーが出航するのが江差港で、Fieldの自宅からのドライブ時間は7時間。これって余裕有る?無い?さーどっちなんでしょうね〜???
 夜8時、準備を済ませ自宅を出る。帯広JCTから高速に乗り順調に走っていたが、何やら自動車道で深夜工事があるとかで、長万部で一般 道に下ろされてしまった。ここまでの高速料は¥7,050って高くない?これから乗るフェリー代が¥15,470なのに…
 午前1時半ころ、道路右脇の路側帯に(おそらくエゾ)フクロウが舞い降りるシーンを発見してしまい、思わずブレーキを踏む。Uターンして反対車線側の路側帯に進入するも直ぐに飛び立たれてしまった。うー残念!!しばらく様子を見るが、何だか緊張の糸が切れてどっと眠気に襲われた。少し寝るわ!…2時間半休憩してまたハンドルを握る。小雨降る江差港に着いたのが、5時05分。乗船手続きには未だ早いので、またまた仮眠。

 

カランセ奥尻(2018.07.14)

 2時間ほど仮眠して、8時ちょい前に乗船手続きを済ませ、フェリーの入港を待つ。フェリーの名前は「カランセ奥尻」カランセはオクシリエビネ(ラン科)という花の学名なのだとか。
 ついでなから奥尻はアイヌ語の「向こうの島」を意味する「イク・シリ」が由来。じゃあ利尻は?これまたアイヌ語で、リイ・シリ「高い島」を意味しているらしい。
 8時45分、フェリーの姿が見えてきた。さすがに本州に渡ったフェリーに比べると一回り小型かな。それでも普通 乗用なら30台は載せることが出来るらしい。

 

カランセ内部(2018.07.14)

 乗船順位は2番目…で、心配したとおりバックで船に渡り、そのままずっとバックで船首まで誘導される。これって下船順位 は最後ってことだよね。不公平だと思いませんか?でも、まー仕方ないけどね。ブツブツ…
 到着までは2時間10分、それで1等室はとらないよね。Fieldも2等室で、昔リュック1つでフェリーを利用していた頃の様子を思い出しました。3連休初日だけあって混んでましたね。仕切壁に背中を預け、小さくなってウトウト…。

 

賽の河原付近(2018.07.14 奥尻島北部)

 天気予報は、今日14日はまずまずで、明日は雨の確立も高かったので、とにかく今日は蝶探しに専念し、明日は雨の中を観光し、最終日の午前中はまたギリギリまで蝶探しという予定です。そうして、Fieldの読みでは蝶ポイントは島の北側であろうと予測して、下船後はとにかく北を目指しました。
 走行中、霧がかかってはいましたが何とかなるだろうと油断していました。海岸線はこんな眺めでしたが、林道を登るに連れガスが深く、車を走らせるにも徐行が必要。時折ガスが消えそうな時もありましたが、今度は強風で、蝶どころではありません。参ったね〜どうも…。3時間ほど島の北部をさまよいましたが蝶は断念!観光に切り替えるかぁ…

 

なべつる岩(2018.07.14 奥尻町)

 奥尻島で絶対に見逃せないのがこの鍋釣(なべつる)岩。でもどんなパンフにも「鍋釣」と書かれているけど…そうではなく鍋弦じゃないの?島を周回する道路から近くにありますので高さが20m近くのこの岩に気が付かない人は居ないよね。でもさー、青い空と青い海を背景に撮りたかったなぁ。夜はライトアップされているようですが、まぁ、それは良いかな。
 島には唯一コンビニがありました。昨年の与那国島にはコンビニはなく不便でしたが、コンビニの有り難さがよく分かりました。そのコンビニ…セイコーマートでビールと焼き蕎麦とおにぎりを買って、今夜の宿泊予定地、うにまる公園を目指しました。ファミリーパーク…とありましたが、そこにファミリーの姿はありませんでした。公園の脇には墓石が並んでいまして、こちらには幾台かの自家用車がありました。25年前、多くの島民が犠牲になった南西沖地震が7月12日。その犠牲者の命日が今日であったりしたのでしょう。更にファミリーパークとは名ばかりで、四半世紀前の教訓を元に、島民の避難場所として作られた場所が、このうにまる公園であったのかなと想像致しました。墓石に手を合わせ…ご冥福を祈ります。

 

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