人生の先輩(2014.05.09)

太田徹さん(2011.09.03 所沢にて)

 2014年5月9日、私の携帯が鳴った。携帯の液晶画面には“太田徹”と表記されている。あら?!専務だ、どうしたんだろう??

 1978年4月、私が社会人デビューしたのが豊島区にある某社。その会社の専務が太田徹さんだった。たったの3年半で私は退社し、北海道に戻ってしまったが、彼が私をどなたかに紹介してくれる時には必ず“私の右腕の…”という形容詞を付けてくれた。そして30年間、今年も新茶の季節になったぞと、狭山茶を贈ってくれた。江戸弁というより職人言葉で切れが良く快活で、カラオケが大好きな方だった。

 電話の向こうから聞こえてきたのは年輩のかすれた声だが、どうもご本人ではない。“…もう助からないのははっきりしているのです。”えぇっ!な、何???泣き声にも聞こえる。

 

(2011.09.04 昭和記念公園)

 “貴方の顔は私も存じていますのでお電話しました。”どうも奥様からのようだ。何度か聞き直したお話を整理すると、ご主人の徹さんは危篤状態で、助かる見込みがないこと、葬儀はしない予定であり、お骨にしたら直ぐにお寺に預けるつもりであること、従って私には来ないで欲しいと仰っている。
 私の頭に“今際の際”という単語が浮かんだ。それにしても…どう言葉を返して良いのか分からない。その電話を頂いた段階で、太田さんの命が絶えてはないのだから、ご愁傷様でも、お悔やみ申し上げますでも無い。頭の中が真っ白で動転してしまった。とにかく、ご連絡いただいたことに感謝申し上げますと、電話を切らせて貰った。そして“貴殿は、私にとって尊敬する人生の先輩でした。これまでのご交誼に深く感謝致しております。”とCメールを送信した。

 それにしても…どうして奥様は私に電話をしたのであろうか?少なくても極最近、お二人の会話の中に私の名前が浮かんだという事は推察できる。たったの3年半、会社の部下であった私に、30年にも及ぶ永きに亘るお気遣いを頂き、本当にありがとうございました。やはり貴方は、私が敬愛し、尊敬できる人生の大先輩でした。

 


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