ホーチミン市 市内観光

大統領府外観(2011.04.29)

 日本の首相官邸というのを見たことがないので、もしかしたら違うかも知れないが、同類の用途の建物と解釈した。執務室があり、来賓室があり、会議室があり…という感じで、日本の○○首相がこの部屋であーだ、こーだと解説されたが、殆ど記憶にない。
 あまり興味が持てなかったのか、あまりの暑さでぼー
っとしてたのか…いずれかであろう。屋上には売店があって、そこでミネラル・ウォーターを買ってようやく一息ついた。考えてみたら、ここで初めてベトナムの通 貨を使ったことになるが、ベトナム通貨については後述させていただくことにしよう。

 

大統領府室内(2011.04.29)

 室内は、まあ豪華ではあるが、度肝を抜かれるほどの贅沢な物は無かった。海外からのお客さんも多かったであろうが、ここぞとばかりに威厳を示す…みたいな物品は特に無かったように思う。
 唯一目立っていたのがこの絨毯で、台湾製の特注品だと聞いた。
※ヴェトナム戦争について調べていたら、この建物はかつてアメリカ大使館として建てられたものと判明した。

 

戦争証跡博物館(2011.04.29)

 外壁のremnantsは日本語で証跡と訳されているが、遺物・残り物といった意味か…。我々の世代では、ベトナムと言えばどうしても戦争を思い出す。ナパーム弾とか、枯葉剤とか、そしてベトちゃんドクちゃんを忘れることは出来ない。
 どんな趣旨で建てられたのか分からないが、あの戦争を忘れるな!そして、あんな戦争が二度と起こりませんようにという祈念館なのであろう。

 

戦争証跡博物館(2011.04.29)

 入口の両サイドには、あらゆる種類の砲弾が並んでいた。もっとも砲弾という単語からは想像も付かぬ 程の種類と、大きさに唖然とさせられた。

 

戦争証跡博物館(2011.04.29)

 前庭には戦闘機・ヘリコプター・戦車が並んでいた。言い換えれば全て殺人兵器であり、いずれもアメリカ軍のものである。多くの西欧人が観光に来ていてそれを眺めていた。彼等はどんな思いでそれらを見つめていたのであろう。
 かく言う私も、学生時代Fieldは歴史が嫌いで、あまり勉強していなかったが、ヴェトナム戦争は北ヴェトナムを中国とソ連が後押しをし、南ヴェトナムをアメリカが支援した。という程度の知識しか持たぬ 自分を恥じるとともに後日きっちりヴェトナムの歴史を紐解こうと思った。

 

高射砲(2011.04.29)

 難しいことを言っていては先に進めない。とりあえず旅の感想を書くことにする。戦争に対する考察は、また後日ということで…
 建物の中は戦争にまつわる様々なパネルが多く展示されていた。私はヴェトナム戦争というとベトちゃんドクちゃんを連想するが、 私の想像通りで、彼等は氷山の一角…症状は様々ですが、同様のそして様々な悲惨な影響を受けた子供達の姿が多く展示されていた。正直に言って目を覆いたくなる…それは見れば見る程気持ちが暗くなるものばかりだった。

 

ベンチ(2011.04.29)

 建物の周囲にはこのようなベンチが多く見られた。見学者の休憩用だと思うが、背に刻まれている文字は様々で、このベンチは“KIZOU”これは“寄贈”であろう。八丈島農業使節団…世界平和祈願。また沖縄の方々の名前が刻まれていた。
 ベンチは多数有り、殆どが日本に関わる方々の名前が圧倒的に多かった。唯一の被爆国。そして戦争で多くの犠牲者があった沖縄。この施設の存在を知り、何らかの寄付を申し出たその記録として刻まれたもののようだ。


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