亜細亜の大兄国訪問 その14(最終章)

コンセント(2009.05.06)

 最終日早朝、4時半にモーニングコールです。6時にはロビー集合ということで、慌ただしいことこの上無し!昨夜のナイトクルーズは、参加者全員が申し込まれていたようですし、ホテル着が夜10時近かったので、皆さんおそらく睡眠は4時間程度だったのではないかと思います。
 Fieldも昨夜は疲れ果てて、何もする気がなく、冷蔵庫に残っていた老酒(ラオチュウ)を飲んで寝てしまいました。中国酒のことは、さっぱり分かっていませんが、老酒は広義で発酵・熟成させて貯蔵した酒のことで、その中の一種に紹興酒などがあるという理解をしています。滞在中2種類を買ってみましたが、どちらもあまり美味しいという代物ではありませんでした。しかし、きっとFieldが知らないだけで、美味しいのが有るだろうと思ってますので、これからも機会が有ればチャレンジしたいと思います。
 ホテルの部屋を出る前に、これは撮っておこうと思っていた写真がこちらです。幾種類かのコンセントプラグに対応しているようで、あーこれ良いな〜と思いました。外国客が泊まるホテルならこうでなくちゃねぇ。ただし、日本と違って200Vですから注意が必要です。Fieldはカメラのバッテリー充電器を持っていきましたが、問題はありませんでした。

 

上海浦東国際空港 (2009.05.06)

 朝食は、バスの中でお弁当です。お弁当と言ってもペット・ボトルのお茶やら、クッキー状のものやら、リンゴやらでした。あまり食べたいと思わないものも入っていましたが、残すと邪魔になるなと思い、全部胃袋へ片付けました。
 上海浦東国際空港の外観はまた撮りそびれましたが、ここの構造は何だか感動物です。フレームとポールとワイヤーで巨大なスパンを確保しています。いったいどなたの設計なんでしょうね。特に天井からの白いポールには下方部分にに穴が開いていて、そこに外壁からの太いワイヤーが通 されています。ポールの長さは壁際で短く、建物中央部分で長くなっていますので、天井はアーチ状に持ち上げられている訳です。外壁もご覧のように上部が外に傾斜していますので、ワイヤーの張りを維持するとともに天井の重さの負荷をまともに受けることなく、上手に逃がしているのでしょう。
 ※この記事を書いていて、やはり設計者がどんな人か気になり、調べてみたら、フランスの建築家「ポール・アンドリュー 氏」(1938年生)の手による物で、 フランス・パリのシャルル・ド・ゴール国際空港ターミナルビル(1974年) などで有名な建築家だそうです。

 

機内 (2009.05.06)

 座席のヘッド・レスト部分のカバーです。来年に向けて張り切っています(笑)こうした特需が巨大な経済発展をもたらすんでしょうねぇ。建築・建設ラッシュで、中国が大量 の鋼材を使うものだから、世界中で鋼材の価格が跳ね上がっていると聞きました。ホテル・旅行業・飲食業…ありとあらゆる産業に多大な利益をもたらすことでしょう。
 しかし、言偏(ごんべん)につくりが“上”の文字は何の文字が略されたのでしょう? 悲しいかな意味不明です。
※それは“譲”の字だと、ご連絡を頂きました。それが何とORACメンバーからです。うーむ、やるな、アイツ!…というか、やられた!という感じです(笑)お教え頂きありがとうございます。でも何でこうなったんだろう? “譲” “上”ジョウだから?

 

お土産 (2009.05.06)

 帰ってから、荷物を広げてみました。まあ、たいしたものは買ってないのですが、上が主にお友達用で、緑茶・花茶・烏竜茶・プーアル茶・蓮子(蓮の実)砂糖菓子。蓮子は台湾で食べて美味しかったのですが、こちらのはイマイチでした。
 下の写真は、全くの個人用です。上左は蝶模様のCDケースです。絹のハンカチにも蝶の刺繍が入ってます。その隣が小銭入れ、その下の蝶はケースになっていて、まあアクセサリー入れでしょうか。更にその下は印鑑を彫ってもらいました。材は赤瑪瑙で、私の名前だけを陰で注文しました。中国ではあちこちで書を見ましたが、さすがに上手い!ちょっと刺激されて、私もまた始めたいなと思ったのですが、この印鑑はその作品に押すために…と考えています。中央は木製の透かし彫り。実はよく赤い紙に金文字で“福”と書かれたものを逆さに貼ってあるのを目にしたことがあると思います。あれが欲しくて探しましたが有りませんでした。お正月にならいくらでも有るけどね〜とのことです。ところで、これも逆さに飾る?どうしたものか悩んでいます。後はピンブローチとそれが入っていた袋です。
 まあ、ごちゃごちゃと買ったものです。あ、言っておきますが、これを誰か女性に…ということではなく、あくまでも自分用です。お間違えの無いように…

 

総括

 旅行前、お腹の調子が悪かったのですが、それは大丈夫でした。とにかく水には気を付けていましたし、常にお茶は持ち歩いて、咽が渇くとお茶を飲んでいました。上海での食べ物は、どれも薄味で私好みではなかったのですが、体重はやはり2Kg増えて帰国しました。しかし、帰国後発熱が続き、脱力感がひどかったので、一気に体重は落ち、今現在(5/23)出発前のマイナス2Kg…まるで逆リバウンド状態です。この症状については、周囲から豚…じゃないの?と冷やかされ続けましたが、気温28度の中国から、一気に10度台の北海道に戻ったことにより体調が狂っただけの様です。しかもこの2週間、会議とイベントのテンコ盛り状態で、睡眠があまりとれなかったことにも起因していると思います。
 今回の旅は、Fieldにしては珍しくいわゆる観光旅行です。しかし、日本の文化は主に中国のコピーまたはその発展形であるとFieldは思っています。そのアジア文化の発祥の地、そして世界的に見ても長い歴史と文化の国を、自分の目で一度は見ておきたいという思いがありました。亜細亜の大兄国と題したのも、中国は日本の先輩であるという敬意を表して付けたものです。
 そして、感じたのは急速な経済発展の裏に生じている様々なゆがみでした。それは貧富の差であったり自然環境の悪化であったりする訳ですが、そんな中でも最も悲しいと思ったのは漢字文化の崩壊です。ご存知の通 り西欧の文字は、音しか表さないのに対し漢字は1文字1文字に意味がある表意文字です。言ってみれば、ヒエログリフなど象形文字の究極版だと思います。そしてこの文字の最大の利点は、その文字の意味さえ知れば、それがその国でどう発音されているかに拘わらず、意味が通 じるところにあります。
 この旅行記の“その7”寒山寺の詩、「楓橋夜泊」は、“月落烏啼霜満天… さっぱり読みは分かりませんが、“月落ち烏啼きて霜天に満つ…”と、しっかり日本語になり、その意味も分かります。ついでに、ある方からヒントを頂き、あの寒山寺の外壁の詩もFieldなりに訳してみました。

 人問寒山道 ある人が寒山への道を問います

 寒山路不通 寒山へ行く道が通れない
 夏天冰未釋 夏になっても 氷雪は溶けず
 日出霧朦朧 日が出ても 濃霧で先が見えません
 似我何由屆 あなたはどうして行けたのでしょう

 與君心不同 君の心の持ち様が違うから
 君心若似我 もし君の心が 私と同じであれば
 還得到其中 私のように寒山へ行くことが出来るでしょう

 寒山=修行の到達点…悟りの境地と置き換えれば、意味は完全に見えてきます。
 この素晴らしい文字文化を生み出した中国を偉大な国だと思う一方で、その文化を中国が壊し始めている気がします。簡体字という書体が考案され、街の看板は軒並みそれに書き換えられています。Fieldはとても悲しい気分です。一方繁体字と呼ばれる台湾(香港も)で使用されている文字は、簡体字が出来たから、それに対して繁体字と呼ばれるようになっただけのことで、本来の漢字の姿だと私は思っています。
  簡体字が、行書体・草書体・隷書体などのような、一つの書体で留まればよいのですが、簡体字がどんどん幅を広げ、それしか読めない中国人が増えることに驚異を感じます。歴史・自然・文化・人の心を残しながら、これから中国がますます発展されることをご祈念申し上げ、Fieldからのご挨拶に…いや違った!本旅行記の締めくくりにしたいと思います。長文にお付き合い下さった皆様…謝


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