言い訳…

ハマナシの実(2007.12.9 帯広市

 9月の台湾以降、あまりField Noteを更新出来ていない。何サボってんのさ!と、声が聞こえてきそうですが、そんなつもりは全然無いのよ。そりゃあ、Fieldだって外遊びをしたいのはやまやまだけど、ちょっと体調が悪かったり、忙しかったりで、なかなか遊べなくさ。
 最初は軽い風邪のつもりだったけど、これが治らなくて…というか、治らなければ、さっさと病院へ行ったんですけどね。数日で治ったという気になるんだけど、これがすぐにぶり返して、ずるずると長引いてしまったのですよ。

 

ツルウメモドキ(2007.12.9 帯広市

 仕事の方は9月まで暇だった。ただ、それは例年のことで、今年が特に暇だったという訳でもない。10月に忙しさは戻ってきたのだが、実は今年の6月に息子が会社を退職している。この件については、数十人の方から、“何で?”と質問を受けた。しかし、説明が面 倒なので“あー、それね、寿退社。”と答えることにしている。
 ここで理由をくどくどと書く必要もないだろうから、簡単に言うと、自分自身今の仕事に100%納得している訳ではない。父がこの仕事をしていて、大変そうだから手伝うか…というのがキッカケで、その段階でそれが自分の一生の仕事になるとは思っていなかった。息子にとっても同じ事だろう。自分にとって、悔いのある人生とも思ってはいないが
、本当に納得の出来る人生だったかどうかと考えると、若干の疑問が残る。
 自分自身の人生は、残り後何年だろう。それをどう使う。何をする。どうやって生計を立てる。そんなことを考えている矢先でもあった。だから、息子から退社の希望があったときに、すぐに承諾した。周囲から何故引き留めないのかと疑問の声が上がったが、Fieldにとっては、考える余地のない最初から結論の出ている事であった。息子には、悔いのない人生を送って欲しいというのが大前提だ。

 

ススキ(2007.12.9 帯広市

 息子には外回りの仕事を任せていた。将来は彼に会社を任せるつもりだったから、顔を売って欲しかった。しかし今、その仕事が、私の仕事に加わった。外回りを2時間すれば、私の時間が2時間減る。とにかく効率優先で回っているのだが、負担はやはり大きい。つまり社内の仕事は2つでも3つでも平行処理が可能だが、外に出ると、それだけしか出来ない。
 そうして不足した時間は、週末で埋めるしかない。長くなってしまったが、それが外遊びが極端に減った理由である。しかし、昨日頑張ったこともあり、ようやく先が少し見えてきた。久しぶりに今日は完全オフにしようと決めていた。そうだ、お天気が良ければ広尾のあの川を覗こうと考えていた。今は亡き釣友のTが好きだった川だ。

 

エゾリス(2007.12.9 帯広市

 朝7時ころ目覚めたが、外は暗かった。おそらくどんよりと曇っているのだろう。そのままうつらうつらしていたが、やはりもったいないと、9時に起床。ゆっくり休んだはずなのに、身体がだるい。何とか元気を出さなければと、タウリン3000mg配合の栄養ドリンクのキャップを外し、一口飲んで、テーブルに置いた瓶が転けた。床に黄色い液体が広がった。うー、ますます元気が出ない!
 それでも、お昼頃には外が急に明るくなってきた。外に出てみたら、風もない。たとえ直ぐ近くでも良いから散策してみようと、出掛けてみた。とりあえずいつもの合流点。途中でハマナシの実を見つけた。例えば、サルナシの実などは、霜に一度あたると甘味が増す。ハマナシの実はどうだろうと、口にしてみたが、皮と種だけで、果 肉はフリーズ・ドライ状態。食べられたものではない。
 川には、意外にもハクチョウが2羽しか居なかった。カモ類も少ない。近くの池を見に行ったが、完全に結氷していて、水鳥の姿はなかったが、岸にはツルウメモドキが真っ赤な実を付けていた。

 

エゾリス(2007.12.9 帯広市

 被写体を求めて、どこかへ移動…と思ったが、やはり元気が出なくて、移動した先は、すぐに近くの帯広神社。そこにはビニル袋を手に何やら拾い集めているおじ様の姿が見えた。どうも木の実を集めているらしかった。少し歩き回って気が付いたら、いつの間にか餌台が作られていた。
 おじ様は、その餌台に、拾い集めた木の実を置いていた。“ここには今、エゾリスは何頭くらいいますか?”と聞いてみたら、“3頭かなぁ”との返事。“多い時には10頭以上いたんだけどねー”“やはり鳥ですか?”“そうだね、あそこにも巣が見えるでしょ。あれも、鷹の巣なんだよね〜”
 そんな会話を交わしたのだが、この狭いエリアの中で拾った木の実を餌台に置く行為が、何の意味があるのだろう?と不思議に思った。エゾリスは、人間より目敏く餌を見つける能力があると思う。このエリアに餌の絶対数が少なく、余所から拾い集めて餌台に置くということなら意味もあるだろうが、おじ様には誠に申し訳ないのだが、単なる人間のエゴ…自己満足的な行為にしか思えなかった。

 

エゾリス(2007.12.9 帯広市

 誰が設置した餌台かは知らないけれど、目立つ位 置にそれが置かれ、エゾリスが餌を見つける前に人間がそれを拾い集め、そこに置かれることで、その餌を取りに行くエゾリスは、より危険に更されはしないかと心配になった。
 エゾリスを捕らえたいと思う猛禽類が、定期的にエゾリスが餌台に現れることに気付けば、その餌台を監視しているだけで、容易にエゾリスを捕らえることが出来るんじゃないだろうか。もし、その予測が当たっていれば、エゾリス保護どころか、エゾリスをより危険に晒してるだけかも知れない。餌台の餌をアテにした野生動物が、人間の都合でそこに餌を置けなかった時には、餓死する危険もある。
 自然の営みに、人間の手を加えることは、とても難しいことだ。ありとあらゆる可能性・危険性を考慮に入れたつもりでも、人知の及ばないところで、彼等は窮地に立たされていることがあると知るべきだ。彼等に豊富な餌を提供したいなら、森を守り、木を増やすしか手段は無いと、Fieldは思うのだが…

 

戻る      2007年版目次へ      次へ