本題の前に…

 昨日、つまり4月2日未明、台湾東部地区で大きな地震が発生した。台北でも震度2だったそうだが、私は爆睡していて気付かなかった。震源地の台東では震度6.4と発表になり、TVでは陳列棚が壊れた商店の画像を映し出していた。
 台湾のことを調べ出して気付いたが、あちこちに温泉があり、どうやら火山活動により隆起した島のようだ。実際には活火山は無いようだが、島全体の70%が山岳地帯で耕作可能面 積は30%しか無いと聞く。また、台湾の最高峰は玉山の3,952mで、日本の富士山を凌ぐ山が更にいくつもあるように聞いている。

 昨日のような大規模な地震は、数年に1度は発生しているようで、2〜3年前には地震が台北を襲い、4,000人程度の犠牲者が出たと現地の人に聞いた。 台東地区の一日も早い復興を祈念したい。

 

成功高中昆蟲博物館へ(2006.4.3 台北市)

 台湾初日に、陳維壽先生との電話で、今朝、私は先生が館長を務める博物館を訪れる事になっている。いつもの粥を食べてからホテルを出る。時刻は8時を少し過ぎていた。タクシーをつかまえ、“請到成功高中昆蟲博物館”のメモを渡すが、イマイチ怪訝な顔。住所を書くと納得してくれた様子で車を出してくれた。
 その博物館は、独立した建物ではなく、学校の校舎内の一部であった。門扉の中に学校の先生と思われる男性の姿があったので、メモを見せると彼は黙って右の方を指さした。“謝謝”とお礼を言って進むと順路を示す矢印があった。建物に入り階段を上ろうとしたときに、バケツを手にした女性に出会う。彼女は私を日本人と判断したらしく日本語で声をかけてくれた。イタリアではイタリア人で通 ったのに、ここではダメみたいだ(笑)

 陳先生にアポイントを取って有る旨を伝えると、彼女は博物館まで案内して、鍵を開けてくれた。そしてパンフレットを渡してくれて、ここで待つように言って出ていった。約束の時刻までまだ6分ほどある。果 たして陳先生とはどんな方なのだろう?ドキドキ!
※このパンフレットの絵は陳先生が自ら描かれたものだそうです。

 

成功高中昆蟲博物館(2006.4.3 台北市)

 程なく陳先生が現れたが、私が先に来ていた事に驚かれたのか、すぐにご自分の腕時計を見ておられた。きっと時間に厳格な方なのだろうとお見受けした。また、先生のお顔は、某ホームページで拝見したことがあったのだが、何故か印象が違った。厳しさと優しさを兼ね備えた教育者としての顔がそこには有った。
 早速先生は館内を案内して下さったが、かなりピッチが早い。台湾の蝶以外にも世界の主だった蝶や甲虫目(コガネムシ類)、そして半翅目(セミ類)等が充実しているようだが、ゆっくり見物している余裕はなかった。どうやら、先生が私に一番見せたかった物が一番奥の部屋にあったからのようだ。そこには蝶模様の、そして蝶の翅を使って作った、ありとあらゆる装飾品が詰まっていた。
 その部屋に居るときに、もう一組のお客さんが見えたようで、先生は直ぐに出て行かれ、私も直ぐに呼ばれた。そこには小さなお子さんを2人を連れた一家が来館していた。

 

陳維壽先生(2006.4.3 台北市)

 そこで私は思わぬ光景を目にした。小さなお子さんを椅子に座らせ、陳先生の講義が始まったのだ。もちろんその内容は子供達にも分かりやすく、しかも楽しめるようにと先生が工夫して作った教材を使ってのものだった。お子さんの方も大したもので、よほど昆虫に興味があるらしく、目を輝かせながら、元気にはきはきと陳先生の質問に答えていた。(船橋のKさん、見てますか?無断で写 真掲載しましたが、後ろ姿だから良いよね?)
 私も常々、子供相手にお話が出来る機会が有れば全て無償で引き受けている。それは永い将来に亘って、昆虫や自然を守ってくれるのは子供達なのだと思っているからだ。
それには、まず自然を理解してもらって、昆虫を好きになってもらうことが一番だと感じている。しかし、私の場合、学校などで40人とか100人を相手にして話すことはるが、こうして未就学の、たった2人のお子さんを相手に、真剣にお話をされる先生の姿には深い感銘を受けた。
 先生のお話が終わった頃、先生のお友達の侯新智さんが現れた。午後からスケジュールが入ってしまった先生に代わって、私を案内して頂けることになっている。さーて、これからが、Fieldの本領発揮だ!陳先生にお礼を述べ、昆虫博物館を後にした。

 

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