ヴェトナム最後の晩餐

ホテルの中庭から(2011.04.30)


 昼過ぎにホテルに戻り、午後からは自由時間。地図を睨めっこして、徒歩で行けそうな公園など歩き回りましたが、成果 は芳しくなかった。そしてショックだったのが、次々にFieldに声をかけてくる人々。いつもなら、地元の人が、煙草の火を貸してくれだとか、今何時だい?とか、そういうケースが殆どだった。
 しかし、今回は少し違った。格好良いベストだねぇとか、日本人だろとか…気付いたらFieldのバッグにJALツアーのシールを貼っていたので、最初から観光客とバレていた。そして声を掛けてくる連中もベトナム人以外の人が多かった。目的は“お金”詐欺まがいのお誘いばかり。バリから来たというお兄ちゃん。いきなり北大を知っているかときた。勿論知っていると答えたら、妹が来月北大に留学するという。是非妹に会って欲しいときた。携帯でその妹という女性と話をさせられた。そうこうしているうちに、20歳そこそこと思われる女性が登場する。その妹さんかと思ったら、従姉妹だと言う。彼女の居るホテルに連れて行くからとタクシーに乗せられた。

 ん?待てよ。何でバリから来ているというのに従姉妹がここに居る?私に会いたいのが彼の妹さんなら、何で彼女が来るのではなくて、私が彼女のホテルに行かなければならない?こりゃ
おかしいと気付いた。タクシーが渋滞でトロトロしているのを理由に、時間がない。予定が狂うので戻ると、タクシーの運転手に元の場所に戻るように命令口調で伝えた。慌てた従姉妹と名乗る彼女は途中でタクシーを降りた。Fieldは無事にホテルに戻ったが、目的は一体何だったのか?

 

高級料理店(2011.04.30)

 日本に戻って改めて調べたら、賭博詐欺、売春詐欺などヴェトナムでは危険がいっぱいのようだ。また、頭脳犯と思われれる奴も居た。ポケットからドル札、中国元札を出して見せる。外国のお金をコレクションしているんだけれど、低額で良いから日本の紙幣をくれないかと言うのだ。
 これには引っかかる日本人も少なくな
いだろうと感じた。考えてみたら、日本の低額紙幣は千円札である。ヴェトナムの物価は日本の1/10以下と言われているから、彼等にとっては日給以上の収入になる。しかも、これは犯罪として成立しない。賢いやり方だと思ったが、Fieldのポケットにはヴェトナム・ドンしか無かった。ヴェトナム・ドンならお前も持っているだろうと拒否した。
 そんなこんなで、緊張の時間を過ごした。ヴェトナムではリラックスすることは出来なかった。緊張の時間がひたすら続いた。そして、最後の晩餐の時間が来た。

 

高級料理店(2011.04.30)

 今まで、海外旅行をして帰る間際、えーもう帰るの?残念!と思うのが常であったが、今回は、日本に帰れるという安堵の気持ちが強かった。しかし、最後に夕食をいただいたレストランは、かなりレベルが高かった、床はガラス張りで錦鯉やドイツ鯉が泳いでいた。聞けばかつてアメリカのクリントン夫妻が食事をしたという席であった。
 人口800万のホーチミン市、しかし幼い物乞いの姿も多く見た。ヴェトナムって共産圏だよね。でも、どこが共産なの?富を公平に分配しての共産じゃないの?いつかTVで中国人男性が“日本の方が中国より、よほど共産国だ”と発言したのを聞いたことがある。つまり日本の税制なども貧者にやさしく、富める者に厳しいというのだ。確かに日本で貧富の差は、こうした外国と比べると比較的少ないような気もする。

 急激な経済発展の裏に、社会の歪みを感じた。中国のそれより、更に大きな歪みだと感じた。詐欺師・物乞いが居るから悪い国…という考えはあくまで観光客にとっての話で、彼等は“生きる” ことに精一杯なのだと思う。 まともな仕事があって、普通に暮らせたら、誰も悪事をはたらこう等と考えはしないであろう。
 
これまで様々な国を訪れたが、戦争による大きなダメージを未だに引きずりながら、それを跳ね返すほどのパワーも感じた。経済発展による国のパワー、何としてもしたたかに生きるという国民のパワー。それらのパワーに圧倒され、Fieldの心はついに、癒されることの無い旅であった。
 正に弾丸旅行で、ほんの一部を見ただけで、その国を評価してはいけないと思うのだが、一方で第一印象というのは、かなり重要で…とにかく疲れた。よほどの事が無い限り、再訪は無いなぁ…。ベトナム関係者の皆さんごめんなさい!もし、こんなに良いところも有るぞ!というお話が有れば、承りたい。


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