第19章 崩壊した街(Italy5)

 

1.崩壊そして再生

 1976年11月6日 イタリア北東部にマグニチュード6.1の直下型地震が発生し、965人がその犠牲となった。街は完全に崩壊し、ほぼ壊滅状態だったという。


街の中心部にある公民館のような建物

 蝶の街からの帰りにある街に寄った。どーんと大きな建物の前に車を停め、街の中を歩いたら、奇妙な建物が目に止まった。石造りの建物の、その石一つずつにナンバーがふられていたので、ルチアーノに尋ねてみて驚いた。この街は40年ほど前に巨大地震に見舞われ、壊滅したのだと言う。しかし、街を再建するに当たり、崩れた石の一つ一つにナンバーをふり、元通 りに築き上げたのだそうだ。


震災当時の写真が惨状を伝えていた

 最初の建物に戻り中を覗くと、震災当時の写 真が掲示してあった。この小さな街だけでも数百人が命を落としたことだろう。
 イタリアの石の文化は、地震の少なさ故に成り立っているように思っていたが、調べてみたらこの100年間に マグニチュード6.0を越える地震が10回、1908年には7.0で死者85,926名、また近年では1980年に6.8で死者が2,914名… と穏やかではなく、地震大国日本に比肩する。ただ、それらの大半はイタリア東部に集中しているのが特徴的のようだ。
 しかし、崩れた石を再度積み上げて再建するというのは、木やコンクリートで家を造る我々の感覚では考えられなかったが、古い遺産を大切にするということばかりではなく、良く考えるとそれが最も効率の良い方法なのかも知れない。


ミイラ

 ところで、この街にもう一つ驚いたモノがあった。教会の地下にこんなものが展示してあった。全部で3体、特に大きな損傷はなく、ガラスケースに納まっていた。プレートに書かれている1770は発見された年?それともこの方が亡くなった年なのか?Paolo Marpilleroは名前?聖教者かなぁ?
 いやー、ミイラって初めて見ましたよ。やっぱ少しキモイ!だから、皆さんにも全体はお見せしないことにします。

 

2.イタリア人気質

 ルチアーノに言わせると、イタリア人は5分で親友になれる。ただし30分で大喧嘩して、1時間でまた他人どうしになれる…のだそうだ。


Bar(バール)で…

 ところで、実はここまでママのご近所さんPierinoも同行していたのだが、どこへ行ったか見あたらない…と、思ったらこんなところで、もう飲んでましたね。実はこの御仁、先の章に書いた、3日間飲み続けたという伝説の男だったんですね。しかも、どの街のBarにも必ず友達が居るという。不思議な方です。では、私もルチアーノの言うことがホントかどうか試してみましょうと、さっそく参戦(笑)
 一応イタリア語で挨拶して握手を交わし、確かに5分後にはこの通り。おや?私の手のグラスもあっと言う間に空いたようです。(この時は、いったい何杯飲んだんだっけ??)まあ、話は殆ど珍しいジャッポネーゼのことに終始したのですが、私の隣の赤いベストの方が80歳、手前のチェックのシャツにベージュのベストの方が65歳。で、この方が、お前はホントに日本人かと尋ねるので、どうしてかと逆に聞いたら、オレの出身の村に、お前とそっくりな奴が居るんだと仰る。ま、日本でも時々“外人離れしてる”等と訳のワカランことを言われている私ですから仕方ないのですが、しかし、その私のクリソツさんに是非お会いしたかったなぁー(笑)
P.S. あ、そうそう、この方々とは30分後にも喧嘩にならず、1時間後には、なんとか無事に帰途につきましたことをご報告致します 。

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