もう一つの Field Note    
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06 Mar 2008   02:48:34 am
最初のカメラ

 デジタル写真というテーマで、写真の話を書くつもりだった。それがデジカメの話になり勢いがついてしまって、そのまま脱線し続けた。この章からは、Fieldとカメラの出会いを書いてみようと思う。

 1967年に父がカメラを手に入れた。マミヤプレスという、主に新聞記者などが使う馬鹿デカイ二眼レフ・カメラだった。きっと父はそれを持て余したのであろう。何と小学生の私にそれを預けたのだった。集合写真や風景を撮るなら、当時としては最高の機種だったと思う。ところがFieldが撮りたかったのは、蝶の写真であった。静物を撮るなら最高のカメラでも、動物を撮るにはあまりに不便なカメラだった。しかも、フィルム代・現像代・プリント代とお金がかかり、学生の自分としてはいろいろと試すこともままならなかった。
 中学校時代、Fieldはサッカー部に所属していた。短距離と瞬発力に自信があったから自分に相応しいスポーツだと思ったからだ。しかし間もなくメキシコ・オリンピックで日本サッカーチームが銅メダルを取り、サッカーに注目が集まった。サッカー部には生徒が大勢集まるようになった。当時からヘソの曲がっていたFieldは、サッカーを止めた。吹奏楽部や卓球部のサポートをしていたが、最後は生物クラブに入った。顧問は酵母菌の研究を奨めたが、それを断って1期後輩に任せた。2期後輩に蝶に興味を持っている奴がいたので、彼と本格的に蝶の生態研究を始めた。キアゲハを飼育しながら観察日記を書きスケッチをしたが、何か物足りなさを感じた。何だか説得力が足りないと思った。
 そこで、マミヤプレスを持ち出した。飛び回る蝶の写真を撮るのは難しかったが、幼虫や蛹を撮ることは出来た。その写真を持ち込んで、中学校科学連盟の大会に望んだ。当時生物クラブの部長になっていたが、過去の戦績を聞いて驚いた。Fieldの在籍していた帯広第六中学校は過去10年間最優秀賞だという。六中は開校10年だから、開校以来トップを取り続けていることになる。正直ヤバイと思った!
 各校の研究発表があり、その後の表彰式に望んだ。第六中学校のキアゲハの生態研究は最優秀賞だった。後輩の酵母菌の研究が次点だった。パーフェクトだ!Fieldの出品した昆虫標本が特別賞のオマケも付いた。表彰式の後の総評で、過去に論文・スケッチの提出はあったが、生態写真を付しての発表は初めてのことで、それが高い評価を受けたことを知った。その時の写真の1枚がこの写真で1969年撮影である。
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24 Feb 2008   11:58:33 pm
デジタル写真 その4

 銀塩フィルムの時代には、フィルム1本撮り切るのに躊躇があった。36枚撮りだと、現像がいつになるか分からないので、経済効率も考えて、24枚撮りを使った。それでもフィルム代・現像代・プリント代で2,000円ほどかかった。中学・高校時代、その2,000円は痛かった。そんな貧乏性の癖が抜けきらずにいた。それが、一気に開放された気分になった。
 プロが50枚シャッターを切るなら、アマチュアは100枚、200枚撮らなければと実感していた。それが実現できることを歓んだ。そんな時に更に写真に対する考えを変化させる出会いがあった。イタリア人のカメラマン、ルチアーノだ。彼に珍しい蝶の写真を見せた。しかし、彼には蝶の知識は全く無い。反応は冷ややかだった。蝶マニアなら、うわっ、凄いと言って貰えたことだろう。そのことが、火に油を注いだ。彼を唸らせる写真を撮ってやるっ!写っている対象物の希少性だけではなく、1枚の写真として観賞に耐えうる写真を撮りたいと思い始めた。
 それまでの写真は対象物を画面一杯に、そしてそれにピンが合っていれば、そこそこ満足していた。でもFieldが撮っていたのは、商品写真・カタログ写真の類だった。そこから脱却すべく撮りまくった。そしてすぐに同じ写真を何枚も撮ることに意味がないと気付き、設定を変え、アングルを変えながら撮るようになった。いつしか蝶の生態を記録する為の“手段”としての写真撮影だったのに、撮影そのものが“目的”に変わっていった。
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08 Feb 2008   02:10:42 am
デジタル写真 その2

 もともとFieldは、高校生の時にMINOLTAカメラと出会い、以後SRT-101という機種を使い続けていた。それまでは2眼レフのマミヤプレスという新聞記者などが使うごついのを使っていたので、α101はとても軽く操作性に優れたカメラだと感じていた。そして後にFieldは、α7というカメラを買うのだが、ミノルタは試験的に“7”の付く機種を市場に試験投入する戦略を持っていると感じていた。これが評判良ければ、下位機種の“5”上位機種の“9”そして、初心者向けの廉価版“3”の付く機種を投入していた。従って“7”の付く機種は意欲的な技術投入を行い、コストパフォーマンスも高かったように思う。
 それで、FieldはMINOLAから“7”の付くデジカメが発売されるのをじっと待っていた。MINOLAは早くからデジタル市場に積極的だったと思う。実際一眼デジを早々に市場に送り込んできた。しかし、“7”の付く機種ではなかった。ところが“7”が付く代わりにレンズ付きでセット販売を始めたのだ。詳細を書くときりがないのだが、簡単に言うとフィルムメーカーのFujiの戦略に踊らされ、MINOLTAはレンズの不良在庫を大量に抱えていた。それをデジタルカメラとセット販売することで、一気に解消しようと狙ったフシがある。これがMINOLTAの大きな蹴躓きの始まりになった。
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06 Feb 2008   01:04:26 am
デジタル写真 その1

 正確に数えたことは無いが、おそらく私の部屋には数千頭の標本が眠っていると思う。最近になって、その蝶の標本写真を撮り始めた。
 古い物では1965年頃からの標本を保存しているのだが、当時は技術も知識もなく、展翅板でさえ手作りで、見よう見まねで作ったものだから体裁が悪かったり、傷があったり、また経年による色褪せもあったりで、皆様にお披露目することも恥ずかしいものもあるが、ラベルを見ると当時のことが思い出され、1頭1頭全てが私にとっては想い出の品でもある。しかし、このまま眠らせては単なる自己満足でしかなく、何とかこの貴重かつ膨大な資料を役にたたせたいと思ったのだ。
 過去にも幾度か標本写真を撮ったことはあった。しかし、例えば24枚撮のフィルムを買って、現像プリントすると2,000円以上の費用がかかり、とても続けられる事ではなかった。
 今から10数年前にデジカメというものを20万ほどで買った。当時は未だデジカメが出始めの頃で、解像度は60万画素程度、色も悪く、とても高いオモチャだった。数年後にFujiから出た300万画素のデジカメを買った。10万円ほどしたが、色も格段に良く可能性を感じさせる物ではあったが、接写をするとどこにピンが合うか見当もつかず、またフレームと実像の差に悩まされた。(つづく…写真は2008.01.20十勝川)
 
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